日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

感情の種類がうむ誤解

 人が受け取れる感情の種類はそれぞれ。だから、自分の知らない感情に対してわかる範囲の物を当てはめて誤解するのだと思う。

自分が持っていない感情を相手が持っているということをわからないでいると誤解が起こる。

人の感情

 感じる感情の種類は人により変わってくる。原体験があって、それに対応して、感情に対する心の受容体ができる、気がする。同じ怒りでも、親の敵に対する怒りと、とっておきのプリンを食べられた時の怒りは違うだろう。勝利した時の喜びと、娘が結婚した時の喜びは異なるものだろう。

感情の解像度

 上で挙げたような感情の捉え方は、ある種感情の解像度と言えるのではないだろうか。自分の解像度の範疇を超えた感情を、人は理解できるのか?

誤解

 自身を解像度で捉えきれない感情を、人は自身の持っている感情のどれかに当てはめて捉えることがあると思う。その時に誤解は生まれるのではないか。そうだとしたら、博愛を知らない者が、心の博愛に疑念を抱くのも当然だろう。

表現活動

 表現活動をする上で、誤解を招くかもしれない表現を使う時もあるだろう。しかし、そのギリギリでしか、境目の部分でしか表現しきれない感情や思いというものもあるのだ。

 表現を受け取るものの一人として、自身の感情の解像度を認識した上で、発信者の思いを汲み取れる者でありたい。

alu.jp

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