日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

流行りはじめのものが好きだ。しかし流行は好きじゃない。

 僕はそれほど流行に敏いわけではない。話題の歌手のヒット曲なんて半年も経たないとフルコーラスで聞くこともしないし、漫画だってアニメ化作品が2クール終わってからでないと1話目を読まなかったりする。

 それでも、コンテンツ(簡単な言葉で一括りにしたくはないが、便宜的にそう呼ぶのは、単純に作品の形をとっているものだけではなく、文脈としての一連の文化的活動も対象とするからである)は黎明期が好きだと僕は感じる。あるいは誰でもそうなのか、それを確かめる術はないが。

 出遅れているのだ。そして出遅れることに慣れているのだ。負けることに慣れている。初めから戦わない意思を示すことで負けない、勝たない、戦わない。

 流行を共感の材料として扱うなら、即座に波に乗るべきなのだろう。しかし僕の姿勢はそれと異なる。流行を質の保証として利用しているからだ。人口に膾炙したものならばあくまでも最低限の質は保証されているだろう、と考え、上澄みだけを啜っている。清濁合わせ飲んでこそ人間だとはわかっているのだが。

 ともあれ、流行に乗り遅れるまっとうそうな理由を立てることに成功した。少しの安堵とまた眠ろう。