日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

新しい自分を更新し続ける

最近ブログを更新していない件について考えたこと

前座

気がついたらブログを更新しないうちに年が明けて、なんなら2月になっていました。

あけましておめでとうございます。

 

年が明けたからといって何が変わるわけでもない。連続した日々が続くだけだ。そう思っていたのは中学生の頃で、今は一周回って節目を楽しもうと思えるようになりました。

 

今年は節分が2月2日でしたね。節分商法に乗っかるのも悪くないもんだ。毎日献立を考える身になってからそれをひしひしと感じるようになりました。四季折々のものを食べる(まあ、節分の場合には四季はあまり関係ないかもしれないが)ことで、牛縄絵がちな季節感を取り戻す。ああ、旬の魚が食べたいな。

 

時折、自分のブログを覗きに行きます。

多くの人に読んでもらおうと思って書いているわけではないけれど、何回読まれました、と記録が残ると、読んでくれたそのあなたに対して感謝するし、うれしくなります。

今日も今日とてブログを見たところ、トップに来ている記事がもう2ヶ月前のものでした。

ああ、こりゃいかんなと思って筆を執っている(キーボードを叩いている?)次第です。

 

本題

毎日、私の体の成分は変わっている。毎日ものを見聞きしてどんどん新しい物を取り入れていくし、昔のことはどんどん忘れてしまっていく。

生き物は変化することで恒常性を保つ。

古い細胞が死に、新しい細胞が生まれる、この循環を続けることで体は体であり続けている。小さな死と生という変化があってこそ体は不変で体としてあり続けることができる。

それは頭の中でも同じことで、新しいことを常に考え、思考を更新し続けることでこそ私は私であり続けることができる。

 

ブログはある意味、死んだ細胞を、思考のアカを積み上げているようなものだ。しばらくたてばその考えは通用しなくなることもあるだろうし(元々通用するものであったかは別として)、時代の潮流にはそぐわないものになっていくだろう。

価値あるものを残したなら時代に左右されることもないのだろうが、今の自分には何が価値を持つのか、価値というよりむしろ、意味のあるものとは何かが分からなくなってしまっている。

だからこそ、更新し続けるしかない。意味があると思うものを日々考えて、日々頭の中を作り替えていくしかない。その過程として、僕はブログを更新しようと思い至ったのだ。