日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

環境音はどこにもあるのに環境音を聞く傲慢

 最近、 僕は環境音を聞いている。

ここでいう環境音

 アンビエントとはまた違う。そういう意味での環境音楽ではないと思う。僕が聞いているものは。波の音だったり、蟬が鳴いていたり、森や、滝の水音だったり、そういうものだ。YouTubeで「環境音」と検索して上位に出てくるものだ、大体は。

なぜ聞くのか

 ここではあえて、「聴く」ではなく「聞く」という表現をさせてもらう。目の前の作業をこなして、こなしても終わりが見えない時、どうしようもなく現実から逃げたいと思う。音楽を聴きたいと思う。でも歌詞がある音楽はこの場合に適さない。歌詞が思考を阻害するからだ。

環境音

 もちろん、僕が住んでいる場所にも環境音はある。その場所で聞こえる音のことを環境音と呼ぶのだ。車の音、風の音。微かな空気の音...耳をすませばあらゆる音が聞こえてくる。

僕の居場所

 無意識に森の音、虫の音を求めてしまう自分がいる。波の音に心地よさを感じる自分がいる。その事実に、僕の居場所はここではないのかもしれないと空想する。どこかに心地よい場所求めている理想郷があるとは限らないのに。