日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

深夜のコンビニをエモいと感じる純粋な感性

 僕は失ってしまったのかもしれない。

深夜のコンビニ

 「カップルで深夜のコンビニにいくこと」をエモいと表現する文化が最近あったように思う。そこで「コンビニ カップル エモい」で検索したが、思ったような記述は見つからなかった。僕の頭が単にバグっていたか、世界線が変わっただけのようだ。

 

ーーー終ーーー

 

 

 

 

 

 

 

だとしても、少し思うことがあったので記そうと思う。

純粋

 「カップルで深夜のコンビニに買い物に行くのがエモい」と感じる人がいると仮定して、それは純粋な感情だと思った。生活の端々に喜びを感じる、純粋でまっすぐな心の動きだと思う。

機械

 同じコンビニに行くのに、僕の感情は全く動かない。機械的カップ麺を手に取り、セルフレジに向かう。大体は30秒くらいで店を出る。買い物で常に幸せを感じることができた方が幸せな人生だとは思う。しかしそういったことにどうしても興味が湧かないのもまた事実だ。

効率厨

 廊下を歩くのがクッソ早かったので、高校の時は担任に効率厨と呼ばれていた気がする。いや、効率の鬼だったか。効率を極めることに楽しみを覚えていたのか?確かに、教室と教室を点で結んで最短ルートを歩いていたし、自転車でいかに速く登校できるかを記録していた。

 なんだ、僕も意外と楽しい生活をしているじゃないか。そう気づいた。