日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

少年漫画はどうして現れたのだろう?

 氾濫。

疑問

 善なるものが悪を挫く。勧善懲悪。少年漫画の、いわゆる王道のストーリーである。なぜこの形式が王道となったのか。世の少年たちがそれを求めるからそれに呼応して作品が作られるようになったのだろうか。そもそも人はなぜ物語を娯楽として受け入れるようになったのか。

想像

 少年漫画にはしばしば、というかかなりの割合で戦闘シーンが描かれる。強くありたいという願望の表出か。それに正当性を与えるため、勧善懲悪の立場が取られることが多かったのだろうか。

 近年は、これまで悪役として描かれてきたキャラクターに正当性を与える手法も多く見られる。これは純粋に、形成された王道パターンへのカウンター、揺り戻しとして説明がつくだろう。(ずっと同じ構図の物語では飽きられてしまう。消費社会。)勧善懲悪にしろ立場が逆にしろ、主人公の正当性は担保されている場合が大多数である。(意図して狂った主人公を描く場合もあるが。)

 描くから読むのか、読むから描くのか、生産と消費のサイクルが回り続ける現代において、その関係性は容易には切り分けられない。だが少なくとも、一番最初に誰かが何らかの意図で、あるいは偶然で、物語をつくったはずなのだ。それが現在まで受け継がれているかは別として。