日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

幼稚園の時 日記を書こうとしてギャン泣きした話(後編)

 昨日投稿した、幼稚園日記ギャン泣き事件の後編です。ぜひ前編を読んでから読み進めていただきたいと思います。そして僕はRacchiです。

 

racchi.hatenablog.com

 前回も泣きましたが、今回も泣きます。 

泣いた後

 その日家に帰ってから、母に一連の出来事を話しました。日記を書こうとして全てのことを覚えようとして覚えられなかったこと。そしてめっちゃ泣いたこと。懸命に話しているうちにまた泣けてきました。布団の中で母は言いました。「日記っていうのはね、その日あった出来事全部を、書かなくてもいいんだよ。」

 

一行日記

  母は一行日記というものを教えてくれました。その日いちばんの思い出を、一行だけ書く、それだけでいいんだよ、と教えてくれました。しかし僕は納得しませんでした。「いちばん大事だったことなんて決めらんないよ!」また泣く。「決められないなら3行でもいいよ。何行でもいいんだよ。」「じゃあ10行日記でもいいの?1769行日記でもいいの!(半べそ」「もちろん、いいよ。」

 もうこの時点で何が何だかわからなくなっていました。細かい数字はあっているか不安ですが、千なんぼの数を口にしたことは明確に覚えています。覚えきれなくて泣いていたのに1000行も書けるのか君は。そして悲しいのか、腹が立つのか、心がもつれて絡まって、泣き疲れた僕はコトっと眠りについた。

 

成長した僕

 僕はその後、小学校に上がってすぐの頃までしばしば日記をつけていました。 いつからか書くのを止めてしまいましたが。

 あの日の僕が考えていたことを、成長した僕の言葉で表すとするなら、僕にとっては、出会った世界の全てが大切だったのです。だからその全てをありのままの姿で、言葉の結晶に閉じ込めようとしたのです。しかしそれは叶わなかった。今となってはそのような思いを抱くことはほとんどありません。1時間前に食べた夕食のことさえ忘れてしまいます。実利的に優先順位の高い三角関数や、微積分の公式を覚えて、朝の日差しやお米の一粒一粒の感触は忘れてしまう。今や僕は、出来事に明確な順位付けをして、区別して、整理して脳に仕舞い込むようになった。宝箱から宝石箱への転換。

 効率的になったのでしょう。めぐるましく変化する現代に合わせて心がアップデートされたのでしょう。そうして時代の潮流に遅れないようにしがみついているのでしょう。それが僕を守るために必要なことだと知りながら、僕は一抹の寂しさを握り締めているのです。