日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

幼稚園の時 日記を書こうとしてギャン泣きした話

 早いもので、一日一記事投稿を始めてから60日が経ちました。ここらでひとつ、日記繋がりのエピソードを話しておこうと思います。Racchiです。

日記との出会い

 5才の僕がどうして日記を始めようと思ったのか、始まりは覚えていません。日記という概念を知ったのは何だったのだろうか。ベネッセのこどもちゃれんじで知ったのかもしれないし、はたまた漫画「パパとあたし」からその概念を知ったのかもしれない。詳しいことは忘れたが、その頃に日記という概念に触れて、書こうと思ったのだ。少年の日の僕は。

 

文字を書くこと

  当時僕は文字が書けるようになったばかりで、できるようになったことをただやってみたかっただけかもしれない。いや、こうやって憶測することは当時の思い出を言葉で塗りつぶすことに過ぎないのだろうか。まあいい。「ち」をひっくり返すと「さ」になる、といったことに、いやいや、手書きなら「さ」の2画目と3画目が離れているからそうはならんだろう、と文句をいっていた。当時は。

 

ワンワン泣きました

 そうそう、ギャン泣きしたっていうところをまだ語っていませんね。その字面だけでこの記事を読みにいらっしゃった方も多いでしょう。お話しします。それは5才の初夏の頃、だったと思う。雪が積もってはいなかったと思うから。いや、息が白かったから冬か?まあそのくらい曖昧な記憶ですが、どうして泣いたのか、どこで泣いたのかはハッキリと覚えています

 

 その頃は日記に凝っていた、というのはこれ以前の文章でお話ししました。その最中。僕は、日記にはその日にあった出来事を全て書くものだと思っていたわけですね。もちろん、日記には印象に残った一場面を書けばいい、というか作法というものなどは無いわけで、全てのことを書く必要などは無いんですね。当然。

 

 その朝、幼稚園のホール(体育館?遊戯室?)で遊ぶことになったわけです。そしてそこでは10人ばかりの級友たちが思い思いに遊んでいるわけです。走り回っていたり、フラフープを回していたり、ボールを投げていたり...それらを眺めながら僕は思いました。「ああ、これを全部覚えて帰って、日記に書くのは絶対無理だ。」

 

 そう立ち尽くしているうちに、日記を完璧に書くことができない自分の不甲斐なさ、無力感に襲われて、ぽろぽろぽろぽろ涙がこぼれてくるわけです。いやぁ、それからは歯止めが効かなくなってワンワン泣きましたね。今でも思い出すと少し泣きそうになります。はたから見たら、何もしていないのに急に泣き出したように見えるわけで、先生に、「どこか痛いの?大丈夫?」と心配されました。なんでも無いのに心配してもらって、むしろ心が痛い。

 

 

 思いの外長くなったので後編に続きます。