日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

ブログを書くことに意味なんてない

  僕にしては珍しく続いている方だ。僕は気づいた。僕はいろいろなことをやった。電子工作や作曲やピアノの練習やエレキギター、動画配信、生放送など、ステレオタイプな少年少女がやりそうなことはあらかたやったと思う。しかし大体の場合、いやむしろ予想通りというべきか、それらは長く続かなかった。

 

 毎日ブログを更新して三週間になる。少し油断すると食欲を満たすことも忘れがちな僕にしては上出来だと思う。毎日継続することに価値があるとすれば、だが。そんなことに意味はなく、突発的な奇行にこそ価値があるなら、そういったことをすればいい。しかし価値のあることを僕がしたいかと尋ねられると、にこやかな笑顔で肯くこともできない。

 

 ブログを書くことにどれほどの意味があるだろう。こうやって問を立てる時、僕は大概答えを持っている。意味はない。日記に意味を求める奴がいるだろうか?昼過ぎに起きて、大衆向けの映画を眺めて、脂とスープの区別がつかないラーメンを食べて、一人眠ったことを書いた日記を読んで、「この日は肥溜にも捨てることが憚られる一日だった」と振り返る奴はいないだろう。同じだ。意味もなく、誰に見られるでもないが鍵もかけずに引き出しにしまった日記と、サーバーを間借りしてwebに文章を吐き出すことに違いはない。あえてそう断言する。そうしたい気分だから。

 

 そういう現象だと、僕は捉えている。そうして思考をやめている。世の中はだいたいにして意味のないことを子供の頃に悟ってしまったと思い込んでいる。また考え出す時がくるかもしれない。その時に僕が残した文章が僕を助けるかもしれない。

 

だが、やはり、今は、意味のない行為、だ。