日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

100日後に死ぬワニの感想

 100日後に死ぬワニがとうとう100日目を迎えました。

 僕はtwitterにあまり明るく無いのですが、その界隈を巻き込んだ一大ムーブメントがワニの周りに起こっているようですね。

 100日後という結末、それが用意されていたから人はここまで安心してワニの行方を案じていたのでは無いでしょうか。いつか死ぬかもしれないワニだったらここまでの人気を博することはなかったと思います。

 これは古典的物語、すなわち、型が決まっている勧善懲悪の物語などにも同じことが言えると思います。そこに終わりがあるから、その終わりに向かっていくことができる。安心して終わりを待つことができる。

 そう考えると、前例のない革新的な物語は受け入れられ難いようにも感じます。時が流れそのような革新的なものを生み出す奇特な人々が増えることで、また、そうした作品が増えることで、新たな典型として人々に記憶される。そうしてその型の物語が広く受け入れられるようになる。

 巨匠が死してのちに名を馳せるというのはそういうことなのかもしれませんね。

 まとまりのない文章になってしまいましたが、安心して読める作品も、革新的な作品も、それぞれに役割を持っていると思います。そういうものを私は作りたい。