日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

SNSを使う人は本能的にその性質を理解している

意味のない導入部。

 意味もなくTwitterを眺めることが増えてきたので、いずれは一日に24時間Twitterで同じ文字を何度も読み返すことになりそうだと思っています。

 

SNSの性質。

 Twitterに限らず、SNSで複数のアカウントを運用する人たちを、以前の僕は器用なものだと眺めていました。ですがそれは器用でもなんでもなく、ただの本能的自己防衛術であったのだと最近気づいたのです。

 月並みな表現で申し訳ないが、SNS、ひいてはインターネットは欲しい情報を得るためのシステムである。求める情報以外は存在しないのと同じである。情報は調べたいと思わなければ手に入らないし、発信したいと思わなければ発生しないのである。

 よってSNS上で形成されるコミュニティは作為的で局地的で選択的で狭窄です。それを実はみんな知っていた。僕も実は知っていた。だが知っていたことには最近気づいたのです。

 

現実での複数アカウント

 複数のアカウントを使い分けることは複数の人格を使い分けることと同じで、それは不自然なことだと思っていました。ですがそれは当然なことだった。社会的生活をしている人なら普通のことだった。何もインターネットは現実世界と切り離された異次元ではなく、現実の次元のうちの一つに過ぎなかったと気づいたのです。

 一つの人格を貫き通して生きている人などいるでしょうか、きっといるでしょうが、それは社会的生活を営んでいない人だ。生活に散りばめられた場面で、人は場面に適した行動をする。社会的に。そういう意味で人々は現実的に人格を使い分けている。

 

至極真っ当な結論。

 アカウントを使い分けることは、その場に適した行動をすることとなんら変わりがない。そしてその場に適した行動は自然なことである。よってそこに不自然はない。証明完了。

 排他的、狭い集団がインターネットで作られるなら、それに合わせて振る舞いが変わってくるのだ。それが誠実、かつ安全なのだ。

 

僕は。

 僕はきっと自分が思っているより不器用だ。