人生慣性。慣性人生。嗚呼、人生慣性。
心を慣性に従って流れに任せる。
突然だが、僕は生きなければいけない。
なぜ?不可逆の恐れゆえだ。死から生き返った人は存在するか?否。私は死から生き返った、と主張する人物がいたとして、彼は本当の意味の死では死んでいなかったのではないか?死に限りなく近い生の状態ではないか?だから今日も僕は生きようと思う。死ぬのは生きてからでも遅くない。
動くということ。
それすなわち生きるということ。それは単に多動と言うことではない。動の中の動も、静の中の動も、どちらも生きる上では欠かすことができないものだと思う。動いてばかりではいられない。静かに目を閉じる時間も必要だぞ?
止まり出したら動かない。
静の中の動と言うのは、肉体が止まっていても、心が動いているということだ。心が止まってしまうと、また動き出すのにとても力がいると思う。
一つの方向に進むのは疲れる。だからと言って心を止めてはいけないように思う。動くのをやめる。ただ心の灯は消さない。それが肝要だと感じている最近である。
心の慣性
いや、摩擦力というべきだろうか。最初が一番大変なのだ、何事も。一度流れに乗ってしまえば慣性でなんとかなる。そうやって今まで過ごしてきました。いつまでも心躍るステップを忘れないようにしたいものだ。ダンス・ダンス・ダンス。