日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

喧伝する文字

 Twitterを見ていると、特に、目的をもたずにただ眺めていると、流行っている文章が目に入る。

 リツイートとフェイバリット、そしてフォローという機能が有機的に絡み合って、システムは作為的に、精密に、それでいて無頓着に組み上げられている。それは流行を中心にして局地的過密を生み出す資本主義に基づいている合理的なシステムにも見える。

 

 文章が流行することを「バズ」というらしい。その呼び名の起源だとかそれが持つ社会的意味だとかについて議論する気はないし、それをできるほど社会に明るいわけでもない。返信欄の一番上にある、紋切り型の文章について、僕は気を取られたのだ。その空虚さが、違和感というものでもないが、僕を惹きつける何かしらの引力を持っていた。

 

バズったら宣伝していいと聞いたので宣伝します。

ー宣伝する全ての(僕が認識した)Twitterユーザーたちから引用

 

 

 宣伝することがこうも毎度毎度よくあるものだと思う。意味のある人生を送っているようでなにより、だがその文字を打ち込む顔は笑っていないのだろう。あるいは生きることそれ自体に意味を見出せずに必死になって意味を掴もうと努力しているのだろうか。それが自然だと思うし、大事なことだとも思う。なぜなら僕は宣伝することなど何も持ち合わせてはいないし、関係のない文字群に関係のない事柄を、すがるように結び付けてあえて崩そうとは思えないからだ。

 

 いつか僕もそのような文字を書くことに(ペンを使うかは知らないが)なるのだろうか。そうであったらそれはその時の僕にとって大事なことだし、僕が夢見た自然の行動であるとも思う。