日記、だいたい怪文書

日頃思うことを書いています。どうしようもない

青臭い理想論を掲げる

 みんなが自分の身の回りを幸せにしたら世界が幸せにならないかな

自分勝手、

 と言うけれど、場合によってはそれもいいんじゃないかと思う。みんなのいう自分ってなんだろう。細胞膜で区切られた肉体のことを自分と呼ぶのだろうか。僕は、環境と自身の結節点が自意識をうむと直感的に思っているので、自分(周辺を含む)のことを自分。と捉えようと思う。この記事の中では。

六次の隔たり

 という言葉がある。これは、6人たどれば世界中の誰とでも繋がることができる、という理論のことだ。ということは、自分の周りの誰もが世界中の人々につながっている、と言うことだ。

少し自分の定義を拡張して

 自分の周りまで大事にしたら、世界が平和にならないかな。大事にする輪が世界を包んだら大丈夫になる気がするのだが、試しに実験してみないか